救済 (連歌師) (Gusai (the Renga master))
救済(ぐさい・きゅうせい・きゅうぜい、正応元年(1283年)? - 天授 (日本)2年/永和 (日本)2年(1376年)?)は鎌倉時代末期から南北朝時代 (日本)にかけての地下(じげ)の連歌師。
和歌を冷泉為相に、連歌を善阿に学ぶ。
二条良基と協力して1356年に連歌集「莬玖波集」を編纂し、1372年には連歌を読むにあたっての法則を定めた「応安新式」を制定した。
句風は特定の風体に偏らず、言葉のこまやかな使い方と心情の深さ、付け句の緊迫感に優れていると評価された。
門弟に二条良基のほかに、周阿・永運・素阿・利阿らがおり、室町時代初期の連歌界の周流をなした。
「莬玖波集」に入集しているほか、「文和千句」「紫野千句」「侍公周阿百番連歌合」などにも句が残されている。